『破船』(吉村昭、新潮文庫)

【概要】

舞台は、ある海浜の寒村である。確たる地名は記されていないが、“尾花蛸”の漁獲、村の沖合いを通る商船の方向、寒気と積雪の激しい冬の描写などから佐渡の南部のどこかだと思われる。

時代は江戸期。

伊作は9歳。この僅か17戸の村で、両親と三人の弟妹と暮らしている。眼前の入江での漁獲と、背後の山裾を僅かに切り開いた畑の作物、山で採れる山菜などで賄われる生活は厳しく、頑健な父は3年の年季奉公で港町へ買われていった。

長男の伊作は、まだ少年ながら一家の中心的な働き手として、大人に準ずる役割を担うことになる。

物語は、この年季奉公から父が戻るまでの3年の歳月を、伊作の目を通して描く。

 

一年目は、伊作が少年の身体を振り絞り、労働を通して村社会で、家庭で、一人前としての役割をこなそうとする様とともに、北陸の片隅にある漁村での営みが四季の移ろいに沿って描かれる。

村の背後の山の頂き付近が紅葉を始めると、村人たちは秋が訪れてきたことを知る。海では尾花蛸が磯に寄せてくる。

紅葉が村まで達する頃、蛸は磯から離れていく。

紅葉が終わり、葉が落ちて冬が訪れると海が荒れる日が多くなる。浜では塩焼きが始まる。裏山から冬季の暖をとるため、薪を集める。やがて雪が降り、村は雪におおわれる。

山で梅の花が咲き始めるのが春の訪れを告げる兆しだ。浜での塩焼きは終わり雪解けが始まると、山路を越えて隣村まで塩を売りに行く。

3月になると回遊してきた鰯漁が始まる。年季奉公の者たちが売られていくのもこの時期である。鰯の魚影が薄くなると、烏賊がやって来る。烏賊は干してスルメとなり、隣村で穀物と換えられる。

梅雨に入ると、村の最大の漁であるさんま漁が始まり7月まで続く。さんまが北に去ると、塩漬けのさんまを隣村に売りにいき穀物に換える。

盆が過ぎると暑さは徐々に和らぎ、さらに一月ほど経つと、磯で尾花蛸がかかり始める。

このように眼前の海と背後の山の変化に規定されながら、村の営みは続いていく。

 

この村の規則的な営みはしかし、苛酷な自然環境のためじり貧的に収支はマイナスに傾き、年季奉公で一時的な収入を得たり、伊作のような児童の労働を必然としている。

こうした状況を好転させうるのが、“お船様”の訪れである。

海の荒れる日が多い秋から冬、浜で夜通し塩焼きの火を炊き、海上を交通する商船が風を避けようと湾内に入ってくるよう誘う。湾内には岩礁が広がっており、そこに座礁させて積み荷を奪うのが、“お船様”の実態である。船の規模にもよるが、お船様の到来から数年は村は貧苦から逃れられるのである。

作中では最初の年、伊作は初めて塩焼きの火の番を命じられ、その意味するところを知る。この年は結局“お船様”の訪れはなかったが、翌年多くの米俵を積んだ商船が“お船様”となり、村は沸き立つ。米俵は人頭割で家々に分配され、大人2人(伊作、母)、子供2人(弟、妹)の伊作の家にも8俵が与えられた。これは数年分の米の備蓄であり、飢餓の恐怖からの解放を意味していた。

そして翌年、新たな“お船様”が村にやって来る。ふた冬続けての到来に伊作も村人も色めき立つが、その船の乗員は全て死に絶え、食糧も尽き、空の米櫃を除いては積み荷も調度品も無い老朽船だった。それでも村人は、死んでいた乗員たちが着ていた赤い衣服を剥ぎ取り、老若の女たちに分配した。

この船が村に大きな災厄をもたらし、冬から春までの間に多くの村人が死んだ。そして生き残った者たちにも、村長の非常の決断によってさらなる悲劇がもたらされる。

すべてが終わり、生き残った伊作は春、漁に出た海上から父親が山道を下り村に帰ってきたのを見つける。その伊作の悲嘆の姿を描いて物語は締め括られる。

“かれは、父の悲嘆を眼にしたくなかった。このまま沖に舟を向け、潮にのって遠い所へでも行ってしまいたかった。

体から力がぬけ、頭の中が空白になった。為体の知れぬ叫び声が、口からふき出た。

かれは、櫓をとると舟を浜の方向に進めていった。”

 

【感想】

読み始める前は“お船様”というおぞましい因習と、業深い村への天罰のように襲いかかる災厄を描いた陰惨な物語を想像していた。

しかし、そこに描かれていたのは厳しい地理的制約の中で、知恵を振り絞って生きる村人たちの姿であった。自らが生き抜くために、時には非情の決断も下さざるをえぬ彼らだが、けして非人間的な冷血な集団ではなく、家族への愛情、同世代の者同士の友情や恋愛感情を持ち、村という共同体への奉仕によって団結している「普通の人々」であった。

お船様”も、もとはそんな彼らの非情の決断によって始まったものだろう。難破した船への略奪と船員の殺害、証拠の隠滅は長年の経験によってマニュアル化されているようで、“差配役”と称される識見豊かな村人の指揮のもと、実に手際よく行われる。足腰の立つ村人全員が参加して行われるこの行為に、誰一人良心の呵責を感じず、むしろ突然の富の到来に喜びを溢れさす様は、彼らが倫理観を欠いたおぞましい集団であるように見える。

だが“お船様”による災厄に襲われた村で、村長は自らと共に多くの村人を犠牲にしてこの事態を鎮める決断をするのだが、この時、より犠牲が少なくなる選択肢を知りつつ“他の地の人に迷惑をかけてはならぬ”と峻拒している。この村長の“他の地”への配慮は優れて倫理的な判断である。災厄は他村から船に乗ってやって来たのだが、そこからさらに災厄が連鎖することを自村の犠牲で防ごうというのである。

こうした倫理的行動の背後には“お船様”という決して他には漏らせない非道の行為をしているという自覚があり、いつか報いを受けることになるという恐れと覚悟が、無意識に形成されていたのではないか。

物語は伊作の眼を通して語られるため、彼以外の感情の動きは直接語られない。伊作は“お船様”の実態を知ったあともそこに疑問を抱かず、無邪気に“お船様”がもたらす富の来訪に期待していた。

しかし大人たちはどうであろう。そもそも難破船への略奪行為を“お船様”と尊称し、訪れを祈念する神事を作ってそれを天の恵みのように演出すること事態が、非道の行為に対するやましさの現れだろう。村長により犠牲者のうちに入れられた伊作の母が、どこか達観したかのように穏やかに最後の時間を過ごしていたのも、非道をしなければ生き延びられない生活から解放されるという安堵感による所も大きいのではないか。

伊作と大人たちの違いは、外の世界を知っているかどうかである。海から得た漁獲物を、浜で焼いた塩を、季節ごとに村人たちは泊まりがけで隣村へと運び米穀と換えてくる。一人前の労働力として数えられている伊作たち少年だが、この運搬作業は重い荷を背負い急峻な峠を越える重労働で、身体のできあがった大人たちしか行えないことは作中にも描かれている。隣村は港町で、旅客用の宿や年期奉公を斡旋する商家もあることから、地域経済の中心地であり他地域からも人や物が集まってくる交易地であるとイメージできる。また、労働力として年期奉公に出た場合は、隣村よりさらに大きな町へ赴くことになる。そうした経験を積み重ねた大人たちは、自らの村で行われている“お船様”が、いかに異常で許されざる習俗かを知っているのである。

 

物語は、伊作が父を迎えようと浜に舟を漕ぎだすところで終わる。この後、多くの村人を失ったこの村は、伊作たちはどうなっていくのか。

以前と同じように過酷な自然と向き合いながら、“お船様”という僥倖を待ちわびながら生きていったのか。それとも父とともに村を出て、新たな土地を探したのか。あるいは村ごと新天地を求めて移住していったかもしれない。

いずれにしても、伊作もやがて一段広い世界を知り、“お船様”という行いの異常さに気づく時がくるのだ。

細部まで描き出された彼らの生活の貧苦を読むことで、この村にとって“お船様”が必要不可欠な行為であることを読者は思い知る。それは「その後」への楽観的な想像を許さない。